最近、うちの社名でもあるTribeについていろいろと考えています。

少し前ですが、広告βさんの「多様化だから一人勝ち、多様化したら全員負け」というエントリーを読み、そしてつい最近カレンの四家さんから「トライブ・トライブスについて考察中」についてトラバを頂いたので、ちょっと考えを整理してみました。

TribeやTribesについての考察はまた別途やらなきゃいけないんですが、その前に広告βさんが提起した多様化と一人勝ちのメカニズムについて考えを整理しなきゃいけないと思っています。

マーケティングの教科書の一頁目にあるフレーズとして、「消費者ニーズは高度化・多様化を極めている」、「消費者は賢くなった」というのがあります。ネットが台頭するはるか前からこのフレーズは実しやかに語られ、ネット全盛になった今も同じように語られるこの耳障りの良いフレーズは、半分本当で半分うそだと思うのです。

確かに私たちのニーズはどんどん高度なものになっているし、多様化もしているように感じます。が、この「高度化・多様化」、「賢い消費者」論が語られて以降、逆に「メガヒット」や「一人勝ち」は目立って発生するようにもなっています。なぜでしょう。

また、「メディアの分散化や多様化」なんてのも良く言われるフレーズなんですが、相変わらずみんなが共有するネタはテレビから発信されるものだったり、主要ポータルのニュースで取り上げられたものだったりします。これはブロガーが取り上げるニュースや検索上位ランキングのほとんどがテレビや主要ポータルで取り上げられたネタであることからも明らかです。

一方で、局地的に大ブームとなるネタも存在します。自分も含めて周辺ではスゲー盛り上がり、友達とかに「ねぇねぇ、あれすごくおもしろいよね!」と言うと、「え?何それ」とか言われる。こんなに流行っているのに、オカシイ、と。

ということで、ちょっと考えまとまってないですが、仮説としてチャート化してみました。

Nicheboommegahit

局地的ブームとメガヒットが同居し、二極化する背景には、Webメディアの台頭が大きく影響していると思います。

ただし、間違ってはいけないのは、WebやCGMが台頭するはるか前から、私たちは高関与なものと低関与なものを持っていたということ。Webは、私たち一人ひとりが持つ高関与な領域を深堀りするのに最適なメディアだったと言うニュアンスです。

もちろん、Webの台頭以前も自分の興味関心ごとを深堀りすることはできたわけですが、本の情報には限界があるし、自分と同じ興味関心ごとを持った人と情報交換をすることには(物理的な)距離的限界がありました。この限界をWebやCGMがプラットフォームとして超えていくことで情報流通が促進され、星の数ほどのTribeを形成し、強固なものにしています

このTribeがTribesになるメカニズムは次回に譲るとして、このTribe内でやり取りされている情報は、外側の人たちからすると「どうでもいい情報」だったり、「よくわからない情報」だったりします。だから、この内部で盛り上がっているネタはあまり外に出て行かない。これが局地的ブームが作り出される背景なんじゃないかと。

一方、この流れと同じ時代にメガヒットが起こる背景は、取得可能な情報流通量の増大があると思います。とは言っても、ネットをほとんど使わないうちのおかんとか兄貴とかを見ていると、彼らの情報流通量は10年前とほとんど変わっていません。これは、今も昔も存在する浮動層=意思なきマスである、という理解。(ただしここでも誤解してはいけないのは、うちのおかんや兄貴は総合的には浮動層ではあるけれども、高関与領域においてはアクティブコンシューマーである、という事実)

話が反れましたが、取得可能な情報量が増えると、実態として情報や商品/サービスの選択肢が増大します。だからと言って、10年前から日本国内の店頭面積が10倍になったわけじゃない。ということは、店頭の棚に並べることができる商品アイテム数はそんなには変わっていないわけです(もちろん、ECサイトは増えたけど)。

仮に10年前とそんなに大きく商品アイテム数が変わったんじゃないとすると、変わったのは「選択肢と認識する情報量」なわけです。つまり、私たちの認識の問題。

私たちは、日がな消費のことばかり考えて生きているわけじゃない。高関与なものもあれば、低関与なものもある。つまり、買い物には「楽しい買い物」と「どうでも良い買い物」の2種類があって、「楽しい買い物」はある程度関与度の高い買回品や専門品、嗜好品だったりします。

一方、「どうでも良い買い物」は、主にスーパーなどで購入する最寄品(日用品)です。こっちの買い物は、できる限り脳内カロリーを使いたくない。失敗しても次の買い物で元のブランドに戻せば良いので、ロイヤリティが生まれにくく、価格弾力性(価格による購入度の変化率)も高い(補足しておくと、スーパーの買い物が万人に低関与なのではなく、その比率が高いということです。スーパーでなくても、服に興味がない人は服を買うときに同様の低関与状態となります)。低関与だからこそ、価格訴求や圧倒的な広告投入以外でのブランドスイッチも難しかったりします

私たちは低関与商材に対しては時間や情報コストを払いたくないので、選択肢が増えると面倒くさくなる(一度使って安心したブランドをあえて変更するモチベーションがない)。極論、何でも良い(失敗さえしなければ)。これは買い物だけじゃなくて、情報についても同じです。そんなに興味がない情報については、自ら一生懸命探すことなく、主要ポータルのニュースを見て「とりあえず」キャッチアップすることで済ませてしまいます。

ここに、世の中の様々な人の低関与が凝縮されて集まってくるテレビや主要Webメディアが出来上がっていると思うのです。そして、その安心できるメディアの中から良く知るタレントや著名人の口(やブログ)を通して発信される情報を信頼し、ほぼ脊椎反射的に消費する。もしくは集団心理が合わさることによって一気にティッピングポイントを超える(まあ、ファッドやブームは、その立ち上がりスピードとほぼ同じスピードで衰退する傾向があるわけですが)。納豆や寒天ダイエットや小島よしおがその典型。

で、話をややこしくしているのは、この二極化は、人の塊によって起こっているわけではなく、「関与の塊」によって起こっているところです(もっと言うと、「低関与の塊による一時的なファッド現象」とも言い換えられます)。昔からサイコグラフィックセグメンテーションやクラスター論などによって語られてきたわけですが、私たち一人ひとりの中に高関与領域と低関与領域が同居していることを忘れてはいけません。そして、その「低関与」がマスメディアやインフルエンサーによって一気に「塊」となって動く「浮動層」を形成することについても同様です。

僕は、ウィンドサーフィン、ゴルフ、服、車、自転車、食、インテリア、本などには高関与ですが、シャンプー、整髪剤などには低関与です。お酒は好きですが、銘柄にはそんなにこだわらないし、自転車も好きですが、マウンテンバイクは機会があれば買ってダウンヒルとかチャレンジしたいけど、ロードバイクにはそんなに興味ありません(これはまたTribesのテーマで書こうかな)。

とまあ後半はグダグダで支離滅裂になってきましたが、まとめると、その人にとって「これじゃなきゃイヤ!」という高関与領域と、「別に何でもいい」という低関与領域を、Webメディアや情報流通量が影響を与え、局地的なブームと社会的メガヒットを生み出しているということなのかな、と。付け足すとすれば、そのどちらにも入らない「無関心」というのもあるから、局地的ヒット、社会的メガヒット、無関心の三極化かな(広告的にはこの3つ目が一番のクセモノだったりするわけだし)。

んで、この「無関心」が社会的関心事に一瞬(一夜)にして超えていく現象が、「高度化・多様化」、「メディアの分散化」、「アテンションエコノミー」と言われる現代社会で頻発しているという事実を忘れてはいけないのです。

これらをコミュニケーションプランニングのベースに置いて企画やメディアプランを考えると、、、やっぱり一筋縄じゃいかないってことです(笑

おしまい!(いつかへつづく)

コメント

  • 一消費者としての目として単細胞的に感じるのは、「多様化・高度化・複雑化しているのはニーズではなく競争だ」みたいな感覚ですね。
    2桁の視聴率が取れなくなろうとプロ野球は12球団のままペナントレースを争い続けているし、買い替えサイクルが3年から5年に伸びようと国内の自動車メーカーは7社(?)のままだし車種も増えている。
    低成長なのに供給者側の固定費はやすやすとは下げられず、それを大きくしながら「成長」しようとせざるをえない資本主義のジレンマですね。
    一方、消費の「傾向」に多少の変化はあったとしても「本質」はそうそう変わるはずもなく。
    ゆえに「成長」ではなく「進化」
    先進国でしなやかに勝ち残っている企業のキーワードのように思います。

    2009年5月25日00:56 | 課長007

  • おはようございます。
    こういうのって企業の販促チームなんかが一番苦手で、上に説明できないことですよね。
    先日から始まっているマスク騒動なんかも、「マスク」を売ろう(機能性・コストパーフォーマンス)としているのではなく、洗脳的必然性のスイッチがはいることによって容易くなります。
    「安い」「早い」「よい」などの人工的テクノロジーのアドバンテージが与える販促フレーズがだいぶ効かない中で、「入手する喜び」の価値基準が80〜90年代と2000年以降とで大きく差が出ているのでしょうね。
    購買を意識させればさせるほど販促や広告が失敗するんだなと思います。
    そのうち「1円でも安い」というのよりも「1秒でも長く」「1日でも永く」という機能や利用価値の継続性が大事になってくるんじゃないかと。

    2009年5月25日10:11 | みーP

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